俗に凡作と言われるような、平均よりも下回る映画というものはこの世にたくさん氾濫しています。わざわざ劇場に足を運ばなくても、近所のレンタル屋さんに行けばずらりと揃っていたり。でもそんな映画作品があるからこそ、良い作品が際立ってくるのです。たまにはそんな平均以下の評価をされてしまった映画と向き合ってみるのもいいかもしれませんよ。

一般的に平均以下の映画となると、良いところよりも悪いところの方が目立ってしまうものだと思われます。良くて凡作、下手すれば駄作というこれらの作品は、あまり人に顧みられることもなく、話題になるようなものでものありません。どちらかと言えば嘲笑の対象として、話の種になる程度のものでしょう。劇場作品として封切られた時はともかく、映像ソフトとして売り出されたとしても人気が出るわけでもありません。

こうして見ると、つくづく報われない作品のように感じますが、印象も薄いことが多いために気づかれないことも多いはずです。わざわざ探し出して観ようと思うこと事体あまりないでしょうね。しかしそんな埋もれている平均以下の作品でも、良さが無いわけではありません。ひょっとしたら作品の良さを広く認知されていないだけで、平均以下という評価が不当なものなのかもしれません。

ものの価値とは相対的なものです。作品自体は変化するものではありませんが、人の評価は変化します。国や地域によって、時代によって、同じものでも全く違う評価を受けるものがしばしば見受けられますよね。同じ様な環境下であれば、その価値基準も似たようなものになりますが、環境の違う場所に住む人とは食い違いがあって当然です。これを映画に当てはめても、評価が異なってくることは予測できるのではないでしょうか。

平均以下の作品にそれほど執着することもないのですが、その作品の中にある数少ない(失礼ではありますが)魅力に気づくことができたとすれば、多少なりとも贔屓目に擁護したくもなっていきます。もしそれが普遍的なものであれば、作品の評価さえも変わってくるかもしれません。大抵の平均以下の作品には、そんな魅力が無いからこそ平均以下の評価なのでしょうが、前述のように価値観の違う人からすれば、話は変わるかもしれません。

平凡な映画に退屈するのは、当然なのかもしれませんが、それは作品の魅力を見落としているだけかもしれないのです。平均以下と言われる映画を魅力を探すために必死に観ろなどとは言えませんが、何か一つでも自分の中にテーマを作り、観てやってあげてもいいのではないでしょうか。もちろん、堅苦しいものであるわけではありませんから、気楽に観るだけでもいいと思います。

結局のところ、その作品に価値を見出すことができるのは、観終えた本人だけだと考えられないでしょうか。評論家はこう言うが、自分はそう感じられないということ、ままあると思いませんか。人にとっては平均以下だとしても自分には名作だと思えるような映画を見つけられれば、駄作もまた観る価値があるかもしれないと思いますよ。