広告でめちゃくちゃ宣伝してものすごく期待させておいて、観に行ったらガッカリ。映画好きのあなたならそんな経験、ありますよね。「まあ、たまにはね」なんて人がいれば「だいたい映画なんてそんなものばかりじゃないか」と憤りまくっている人もいらっしゃるでしょう。でも、なんで期待外れの映画があるのか? 原因はいろいろあるのですが、基本として観客側の期待と映画の内容がズレているからだと思われます。

「期待しないで観た映画が意外と面白かった」こんな経験はありませんか? これってそんなに珍しいことではありませんよね。むしろよくある話だと思います。この場合、観る側には期待をしていなかった分、映画に対する身構えがなかったわけで、流れている映像をそのまま受け入れられたということになるのではないでしょうか。つまり期待というハードルが無いハードル走みたいなもので、映画に対し抵抗感なく突っ走ることができたと。

また言い換えれば、期待感とは、映画に対するフィルターであるとも言えます。このフィルターが多い、あるいは厚いとなれば、そこを通過する映画の内容はフィルターに漉される度合いが大きいことになります。映画を観終わった時には濾されていった分だけ、感想や感動などは薄く感じることでしょう。

映画とは基本的に娯楽ですから楽しさへの期待をしない方がおかしい。期待を持たずに映画を観に行こうなんて人はいませんよね。第一、映画の製作や興行サイドは期待感を煽るよう宣伝をしているわけですし、そうでなければ映画を観る人などいなくなってしまいます。

一番の理想は映画製作側の意図する期待感と、観客側が想う期待感が合致し、まさに期待通りの作品として公開されることですね。しかし現実は両者の狙いがズレてしまっている作品の多いこと。せっかく映画を観るために足を運んだのなら、期待通りといかなくても作品を楽しんで、満足して帰りたいですよね。

期待外れの映画を観て、どうすれば満足できるのでしょう。途中で期待が持てない、つまらないと感じたら、簡単なのはそこからは期待感を持たないで観てみるということです。前述の「期待しないで観たら意外と面白かった」というやつ。ただ、一口に簡単といっても、気持ちの切り替えを瞬時に行うことは、そう簡単なものではないかもしれません。

期待感を途中で捨てるようなことは難しいし、もし可能だったとしても鑑賞後の感想がつまらないことに変わりはないということもあります。そういう場合は、自分の期待と作品とのズレそのものを楽しむという方法があります。理想と現実の違いを比べるのではなく、国内の習慣と外国の習慣との違いを比べて感心するようなイメージで、映画を観るのです。

こういう表現もあるのかとか、斬新な結末だというような解釈ができるようになってくれば、つまらなさを感じることもなく作品を楽しめるでしょう。期待と違うが、これはこれで面白いと思えればシメタものではないですか。それでもやっぱり「つまらないものはつまらない!」のであれば、残されている手はコレ。「つまらなさを楽しむ」しかないかもしれません。

「つまらなさを楽しむ」なんて矛盾するようなものかもしれませんが、そうでもないのです。簡単な例としてはお笑い芸人の「すべり芸」というのがあります。いずれの方法も、結局は自分の感じ方次第となりますが、ちょっと気分を変えることができれば、期待外れな映画でも十分楽しむこともできるものなのです。