あれ、この映画ってこんなつまらないものだったの? ちょっと期待外れに感じてしまう映画なんてものは、ごくごくありふれた存在でございます。しかしそのありふれたつまらない映画の中にも、観方を変えることによって光り輝く名作となりうるものがあるのではないでしょうか。そういった映画に出会えることができたなら、今よりさらに映画を好きになることができるのかもしれません。

映画について、誰でもわかることといえば、面白いかつまらないかのどちらかの映画しか存在しないということです。映像が美しいとか、心理描写が巧みだとか、監督のセンスを感じるとか、難しいことを考えなくても面白いのかつまらないのかはそれぞれ決めることができる。そりゃあ映画の知識や原作のストーリーを知っていれば楽しさも一味違ってくるかもしれませんけれど。

でも何も知らなくても楽しむことができるのが映画というものではないですか。すべてがそうだとは言いませんが、理屈抜きで楽しめるエンターテインメントの一つが映画であると言ってもおかしくはありませんよね。そんな映画なのに、全てが面白いわけではないというのがこれまた面白い。ヒットを祈願して作ったのに、あまり日の目を見ない作品のなんと多いこと。

これまでに作られ、埋もれてしまった映画は大抵つまらない映画という、あまり喜べない状況にあります。そんな映画たちが放つメッセージが、いつか花開く時が来るであろうと祈りにも似た確信を持っているのですが、そうそう簡単には理解されるものでもありません。何といってもつまらないというレッテルを貼られてしまっては、そこから先は相手にされなくなってしまうのです。

Blogなどではつまらない映画についての魅力を伝えんとして、自身の見解を述べている方もいらっしゃいますが、たいていは食わず嫌い状態な人が多いのではないでしょうか。つまらない映画など、何の価値もありはしないと決めつけてしまっては、そこで話は終わりになってしまいます。新しい魅力、いまだ知らなかった未知の魅力が、つまらないとされている映画に含有されていることを知らないのはもったいないではありませんか。

なぜつまらないと思ってしまうのか、それは面白いものが見つからないからですね。しかしそれは多分一方向からしか映画を観ていないからではないでしょうか。一方向からだけでは保護色となって見つけにくい魅力が潜んでいることに気づかないままになっているかもしれません。それはもしかしたら製作サイドが巧妙に隠した宝物なのかも。あるいは点と点をつなげて解く、パズルのようなものかもしれません。

事実、映画の中にそのようなメッセージを含ませてある作品は意外なほど多くあるようです。こうなってくると推理物の映画の様相になってきてしまいますね。己の感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、隠れたメッセージを探し出す。ただ映画を観るだけの楽しさより、高度な知的遊戯としてつまらないという映画に挑んでみる。そしていつか謎は解けるのです。たとえ空振りで終わろうとも、つまらないということはないですよね。