Month1月 2015

平均以下の映画でもこうして観れば極上映画に変身

俗に凡作と言われるような、平均よりも下回る映画というものはこの世にたくさん氾濫しています。わざわざ劇場に足を運ばなくても、近所のレンタル屋さんに行けばずらりと揃っていたり。でもそんな映画作品があるからこそ、良い作品が際立ってくるのです。たまにはそんな平均以下の評価をされてしまった映画と向き合ってみるのもいいかもしれませんよ。

一般的に平均以下の映画となると、良いところよりも悪いところの方が目立ってしまうものだと思われます。良くて凡作、下手すれば駄作というこれらの作品は、あまり人に顧みられることもなく、話題になるようなものでものありません。どちらかと言えば嘲笑の対象として、話の種になる程度のものでしょう。劇場作品として封切られた時はともかく、映像ソフトとして売り出されたとしても人気が出るわけでもありません。

こうして見ると、つくづく報われない作品のように感じますが、印象も薄いことが多いために気づかれないことも多いはずです。わざわざ探し出して観ようと思うこと事体あまりないでしょうね。しかしそんな埋もれている平均以下の作品でも、良さが無いわけではありません。ひょっとしたら作品の良さを広く認知されていないだけで、平均以下という評価が不当なものなのかもしれません。

ものの価値とは相対的なものです。作品自体は変化するものではありませんが、人の評価は変化します。国や地域によって、時代によって、同じものでも全く違う評価を受けるものがしばしば見受けられますよね。同じ様な環境下であれば、その価値基準も似たようなものになりますが、環境の違う場所に住む人とは食い違いがあって当然です。これを映画に当てはめても、評価が異なってくることは予測できるのではないでしょうか。

平均以下の作品にそれほど執着することもないのですが、その作品の中にある数少ない(失礼ではありますが)魅力に気づくことができたとすれば、多少なりとも贔屓目に擁護したくもなっていきます。もしそれが普遍的なものであれば、作品の評価さえも変わってくるかもしれません。大抵の平均以下の作品には、そんな魅力が無いからこそ平均以下の評価なのでしょうが、前述のように価値観の違う人からすれば、話は変わるかもしれません。

平凡な映画に退屈するのは、当然なのかもしれませんが、それは作品の魅力を見落としているだけかもしれないのです。平均以下と言われる映画を魅力を探すために必死に観ろなどとは言えませんが、何か一つでも自分の中にテーマを作り、観てやってあげてもいいのではないでしょうか。もちろん、堅苦しいものであるわけではありませんから、気楽に観るだけでもいいと思います。

結局のところ、その作品に価値を見出すことができるのは、観終えた本人だけだと考えられないでしょうか。評論家はこう言うが、自分はそう感じられないということ、ままあると思いませんか。人にとっては平均以下だとしても自分には名作だと思えるような映画を見つけられれば、駄作もまた観る価値があるかもしれないと思いますよ。

評価の低い映画をあなたは楽しむことができるか?

この映画、評判がよくないんだよな。でも本当につまらない映画なのかな? 自分では興味をそそられる映画と思っていたんだけど、どうしよう。こんな経験はありませんか? 人によっては躊躇して観に行かない方を選ぶかもしれません。でも大概は他人の評価はどうであれ、自分の目で確かめる方を選択するとは思います。まあせっかく興味を持ったのならば、観に行っておいて損はないと思いますけど。

映画誌や情報誌などで評価や評判が芳しくないと、期待値は下がりますよね。観に行こうというテンションも上がりません。この映画は絶対観るぞと思っていたのが、そのうちいつか観てみるか程度に関心が低くなり、気がつけば見逃していたという事もありうるわけで。でも昔と違い、最近の映画はすぐにDVDとかブルーレイディスクで販売、レンタルになります。作品自体を見逃すこともそうないでしょう。

しかしできればスクリーンで観たいと思っている場合は、ちょっと残念な結果となってしまうのでしょうが、見逃してしまったのは仕方ないことです。これがまた評判と違い、意外といい作品だった場合の後悔は非常に大きなものとなってしまいますね。やはり自分の目で確かめることが一番いいのでしょう。人の評価ではなく、自分の判断が大切だという事ですね。

そうは言っても、自分の期待と比べてあまりにも評価が低い場合はどうでしょうか。自分の目で確かめるほどのものではないと判断してしまうかもしれませんね。映画への感じ方は人それぞれでしょうが、最悪の出来というような評価が下された作品にわざわざ足を運ぼうとする人はだいぶ少なくなることでしょう。余程のヒマがあるような人しか観に行かない可能性もありますよね。

もしそんな最低な評価がつけられた作品があったとします(そう評価される映画もそれほど珍しいことでもありませんが)。あなたはその映画を観ようと思いますか? 人によるでしょうが、普通は観ませんよね。下手をすれば映画を観たことによって気分を害してしまう事だってあり得るのですから。でも、もしかしたらですが、あなたには最低には思えない、むしろ良い作品に見えてくることもあるかもしれません。

人生なんて何がきっかけで変わるか分かったものじゃありません。別にニヒリズムというわけではないのですが、例えば事故や災害で不幸になる可能性は誰にでもありますし、何かの縁で知り合った人により幸せになることもある。映画の趣味だって、今まで気づくことのなかった内面からの感情の発露によりコロッと変わることもあるのではないでしょうか。

とある映画との出会いが人の運命を大きく変える。大袈裟かもしれませんがそんなことがあるとするのならば、ぜひ体験してみたいとは思いませんか? そんなに素晴らしいことになる保証はありませんけど、他人の評価でつまらないとされた映画でも、それが新しい世界への扉となる可能性は無きにしも非ず、です。派手な宣伝に敢えて踊らされてみるのも、また一興。

毎日の生活に息詰まりを感じた時に、解決策とは言いませんが好転するきっかけになることだってあるかもしれないじゃないですか。先入観など捨て去って、映画を楽しんで観てください。

退屈な映画との上手な付き合い方

「この映画、全然面白くない」そう感じるような映画を観ていることは、非常に退屈な時間を過ごしていることになります。2時間ほどを費やし無為に過ごしてしまうのは実にもったいない。寝不足の人ならちょうどいい睡眠時間の確保となるでしょうが、ある意味苦痛にも感じるこの時間を何とかして楽しむことはできないでしょうか…。

正直な話、面白くない映画をどんなに褒め称えたとしても面白くなるはずはありません。しかし何も手が無いわけではないのです。例えばマズい料理はそのままでは食べたくはありませんが、調味料やスパイスで味を調えたり、調理にアレンジを加えてみたり、工夫をして何とか食べられる方向にもっていこうとします。映画もそのような工夫ができるのであれば、やってみたくなるでしょう。

料理なら完成後であっても、味を変えることは可能です(できないこともありますが)。しかし封切られた映画では手を加えられるはずもありません。まして製作スタッフでもない観客では手の出しようもないのは当たり前の話ですね。劇場での公開後、映像ソフトとして販売される時に修正したり、ディレクターズカット版を加えたりすることがありますが、やはり観る側から手を加えることはあり得ない。

仮に劇場でつまらなかったと感じた映画がソフトとしてレンタルまたは販売されたとしても、またそれを観ようという気が起きるでしょうか? 大幅な修正によって満足のいく作品に仕上がったとなれば、観てみようという気が起きるかもしれませんが、それでも観ようと思う人は少数ではないでしょうか。劇場で観なかった人ならば楽しめるのかもしれませんが、印象の悪かった映画を再び観るようなことはあまりないですよね。

第一、後に修正ができたとしても根本的につまらないのであれば、観ようという意欲がわくはずもありません。そんな作品に遭遇してしまった場合、どうするか? ありのままを受け入れて、何とか楽しめることはできるものでしょうか。もしあるとすれば、それは映画の観方を変えるという方法を選択することではないかとおもわれます。

映画の観方を変えるといっても、具体的にどうすればいいのでしょう。普通映画を観る際は、スクリーンに集中するものですが、集中する対象を変えてみるなんていうのはいかかでしょう? 例えば、スクリーンとそれに集中する他の観客の反応を見るとか、いつもは選ばないような座席につき、その見え方の違いを確かめてみるとか。

こういった手段では何の変化もないのではないか、映画を観るという本来の目的と関係ないのではないかと思われるかもしれませんが、どうせつまらない映画と認識して観るわけです。物は試しといった感じで、何かしらの変化をつけて観る事にしてもいいのではないでしょうか。もしかしたら意外な効果をもたらすかもしれません。見えてなかった部分が見えてきたり、逆に見えないことによって作品が良い印象に変わったり。

これはあくまで一つの例ですので、効果の有無については保証しかねますけれど、映画の途中でつまらないと感じたら試してみてはいかがでしょう。他に何かいい方法があるという人は、ぜひ皆さんに公開して映画の楽しみの幅を広げる一助となるようご協力をお願いします。

つまらない映画なんて本当はこの世に無いんだぜ

あなたが今まで観てきた映画の中で、つまらなかったものを挙げてみてください。多分、観た映画すべてが楽しかったという人はあまりいないですよね。正直な話、つまらなかった映画は楽しかった映画よりも多いのでは。個人の感想だけでなく、これまでの映画の歴史を見てみても、名作、傑作という作品よりも凡作、駄作と思える作品の方が圧倒的に多いことは事実でしょう。

映画人は初めからつまらない映画を作るつもりで撮影することはないと思われます。評論家に採点を低くつけられたり、動員数が伸びなかったという結果が、つまらないことを証明するようなものと印象づいてしまうのは否定できません。でも中には後世になって再評価され、人々に愛される作品も少なからず存在します。すべての作品がそうであるはずはありませんが、あなた自身の評価はいかがでしょう?

マスコミとか評論家に絶賛された映画でも、自分にとっては今一つだったり、逆に一般的には不評だけど実際観たら結構良かったという映画がありますよね。友達の意見とか、ネット掲示板での意見を伺ってみると同じ作品でも感想は千差万別といったところです。程度や数の差こそあるものの、良いという感想と悪いという感想のどちらもがあるのは興味深いですね。

どんなに名作と言われてもそう思わない人もいるし、最低作と烙印を押されても擁護する人がいます。少数派なんて天邪鬼なんじゃないかと思う人もいらっしゃるでしょうが、一部はそうなのかもしれません。しかし少数派すべてがそうなのではなく、映画の中に良さを見つけてそれを認めている人たちがいるのも確か。そんな数少ない人たちの、さらに限られた良さが味わえる映画というのも、少しは興味を持ってみたいと思いませんか。

いわゆるB級映画と言われる作品群は、根強いファンがいます。何でそんな映画が好きなの?と普通の感覚では理解できない映画に良さを求める人たちは、やはり変わり者というレッテルを貼られがちです。しかしそれは食わず嫌いの人たちによる理解の無さではないでしょうか。小さい時にあなたはこんなことを言われませんでしたか?「好き嫌いせず何でも食べなさい」と。

これは食べ物だけの話なのでしょうか。学校では嫌いなあるいは苦手は教科を克服する努力をします。社会人なら嫌いな人とでもお付き合いせざるを得ない場面もあります。ただ、こういう例は生活していく上では必要でも、映画鑑賞にはそんな必要はありませんね。確かに映画を観るのは食生活と違って好きなものだけでいいでしょうが、それは映画を十分に楽しんでいると言えるのでしょうか。

確かにそれでも十分だと感じるかもしれませんが、小さな満足で終わっているのではないですか。別にB級映画に興味を持てというのではありません。いろんなジャンルの作品を観ることで見つかる映画の楽しさの可能性を知ってほしいと思っているのです。今まで観なかったジャンルの映画を観ることにより、過去に観たつまらない映画でも新たな発見をし、楽しめることもあるでしょう。

考えるな感じるんだ!つまらぬ映画は伊達じゃない!

「なんて退屈でつまらない映画なんだ」と観ていた映画に対して感じた時、どうすればいいのでしょう? しょうがないからそのまま寝てしまう? 時間の無駄だと途中で帰ってしまう? いやいやちょっと待ってください。その退屈な映画は本当につまらないものなのでしょうか。いえね、映画を作る側の人間は観客に対して観る気を失せさせるために撮ったとは思えないのですから。

最初から「つまらない映画を作ろう」と思う監督はいないでしょう。商業的な作品であれば、観客を動員できないような映画に仕上げたりするはずがありません。でも商業的な作品には様々な制約がついて回ります。予算、キャスト、ストーリー等々、制作陣の思うとおりに作れるのであれば、観客側に満足のいく作品に仕上がる可能性も高くなるとは思いますが、そうそううまく事は運ばなかったりします。


つまらない映画の後は、おいしいディナーで挽回しよう!
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例えば原作が大人気のマンガや小説であると、否が応でも期待は高まります。ところが原作には関係ない人物が出てきたり、設定が変わっているとか、キャストされた俳優がイメージと違ったりしたらどう思いますか? たいていは「余計な事をしてくれた」と感じますよね。制作発表時がこういうものであったら、いくら好きな原作の映画でも観る気は半減してしまいます。

そして映画の完成前から「どうせつまらないでしょ」と決めつけてしまう。原作のイメージ通りの映像化を期待していたのに、どうも違うようだと想像できますし、希望は絶望にまで落ち込むのも無理はないでしょう。こういう状況になった時点で、その映画を観に行こうとはあまり思わなくなってしまいますが、ダメ元で観る人がいないとは限りません。

ダメで元々という理由以外でも、つまらなさを確認する為なのか、暇つぶしとか時間つぶしなど、つまらなさそうな映画に足を運ぶ人はいます。評論家とか映画誌のような仕事でもなかったら(大抵は試写会などでしょうが)わざわざ観に行く人はいないようなものですが、そんな映画が好きだという人がいるのかもしれません。

人によって価値観は違いますが、一般的につまらないと評価されるものに対して、興味を示す人がいます。マイノリティーとかマイナー嗜好とか言えばいいのか、そんな少数派の人たちはつまらない映画の何に価値を見出すのでしょうか。それは映画のジャンルや作品ごとに違うのかもしれませんが、何かしらの共通する要素があると思われます。

監督が好きだから、主演の俳優が好き、音楽を担当した作曲家のファンだ、といった部分的であっても好きな要素があると、作品的にはダメでも観に行こうという原動力になるだろうことは、理解できることではないでしょうか。何か、わずかでも観たいと思わせるものが見つかれば、実際に映画を観た後の感想が、先入観の物とは変わってくるでしょう。

「原作と違う」「キャストがイメージと会わない」「監督がダメ」そんなマイナス要素にこだわるより、先入観を振り払い、まずは観てみろと。監督のメッセージとは何だったのか、映像の中から何か感じ取れるものがあるのではないですか。そして結局何も感じ取れず、映画がつまらなかったとしても、どうしてそうなったのかを考えたり調べてみるというのも、鑑賞後の楽しみとなったりするんですよね。これはおススメ。

侮れないB級映画の意外な楽しみ方とは?

映像の作りが安っぽく、ストーリー展開も俳優の技量もイマイチ、そんなチープなB級映画はお好きですか? 人によっては大好物ということもあるでしょうが、たいていはあまり好んでは観ないですよね。もっとちゃんと映画を作れよとか、予算がなかったんだなとか、イメージ的にはマイナス要素しか浮かんでこなかったり。でも制作側の人間にとっては限られた条件の中で必死に創っているのです。

予算や時間、その他もろもろの事情により、満足できるレベルで映画を製作できない場合、どこかで妥協しなければなりません。これはB級と言われる映画でなくても、普通にあることだと思います。たいていは工夫をして妥協したところをカバーするように制作されるのでしょうが、B級ともなるとうまくカバーするどころか、かえって目立ってしまう事もありますね。

初めからB級であることを前提にしてあるのなら、その作品のチープな特徴としてわざと目立たせることもあるのでしょうが、これはどうも目ざといというかわざとらしさが際立って、観る側としては興ざめしてしまうものです。わざとではなく、努力しているのに出来上がった作品がチープになってしまったという映画は、それなりにいい味を出していたりするものです。

そういう制作側の努力の跡が見て取れる場面など、実に心に響くものがあると思うのですがいかがでしょう。単純にチャチだなあと済ませてしまうには惜しい気がします。膨大な予算をかけて作った大作でも駄作と思える映画もあれば、少ない予算でも大ヒットした映画や名画があります。

しかし、仮にもB級映画と言われる作品は名画ではないでしょう。人に勧められるようなものか、怪しい作品群です。だからこそのB級だと言えばそれまでですが、そういった作品の中に映画を観る喜びが、ひょっとしたら隠れているかもしれません。例えば、ストーリーが陳腐で映像的にも安っぽさしか見えてこないような映画を観てしまったとしましょう。

多分、観た後の感想はよろしいものではないでしょう。あまりのひどさに感想どころではないかもしれません。しかし、それは作品に触れることができたからこその反応なのです。もし面白い映画、名作映画だらけであればB級映画を観ることができませんし、つまらないという感情を持つこともできない。プラスなものだけでは世の中は成り立ちません。善には悪、陰には陽が必ず対となって存在するのです。

B級映画に求めるものは、良質なストーリーや映像などではありません。むしろその反対です。くだらなさや陳腐さ、バカバカしさなどを観ることは、普通はあまりお勧めしないのでしょう。しかし良いものだけを追い求めていくだけでは、本当のことは見えてきません。だいたい人間というのは常に良い子であり続けることなど、苦痛になりますよね。どこかで息抜きをしないとパンクしてしまうかもしれません。

そうならないためにも、いつも名作や大作を観るだけではなく、たまにはその対極にあるB級映画を観て、マイナス的な感情を持つことも大切だと思います。偏ってしまう感情や感覚などにバランスを取らせることができるのではないでしょうか? ただB級映画ばかりを観ていると、それはそれでダメだと思うのですけどね。

凡作な映画に遭遇してしまった時の対処方法

拍子抜けした物語が淡々と進み、いつの間にか唐突な終わり方をしてしまうような映画。そんな映画に遭遇してしまったことはありませんか? 後に何も残らないような映画を観てしまうと、虚しさを感じますね。ああまったく時間の無駄だった。そんな映画を観ることは苦痛の種ですらあります。もしこんな映画を観る羽目になってしまったらあなたはどうしますか?

ストーリーどころか見たことさえ忘れていたという映画があったとします。普通ならつまらない映画でも覚えているからこそ、つまらなかったと回想することもできるのですが、完全に忘れた映画があるということは、時間とお金が全くの無駄になってしまったことになります。こんな無駄なことを許せるわけがありません。時間もお金も無限にあるわけではないのですから。

これまでは極端な例でしたが、凡庸な映画に出会ってしまうことはそんなに珍しいことではありません。期待値が高すぎたのか、自分の趣味に合わなかったか、脚本が平凡なのか、演出が甘いのか…。各人の感じ方は違ってくるかもしれませんが、微妙な作品はどこかに共通する欠点を持つと思われます。その映画をどう楽しむか、考えていきましょう。

一般的な日本人は人と違った事をするのに抵抗を感じます。出る杭は打たれるという言葉があるように、目立つようなことはせず、みんなと同じにしていたい。そして日常に非現実的なものは要らないと思う反面、どこかでそれを求める時もあったりする。その欲求の解消策の一つとして、映画に没頭することがあるでしょう。やはり映画には日常ではない展開を求めたいと思いませんか。

映画にはそんな非日常とか、非現実といった要素がふんだんに盛り込まれます。どんなに平凡な映画でさえ、どこかにそんな要素が潜んでいるはず。潜んでいるものを見つけられれば、その映画もいくらか鑑賞できるものと変わっていくことでしょう。簡単につまらないと断定せず、観察してみてください。何か見落としていたことがあるかもしれません。

人によっては「そんな面倒くさいことなんかやってられない」と思うかもしれませんが、どうせつまらない映画に遭遇してしまったのなら、試してみても損はないのではありませんか。何か発見できれば儲けもの。もし何も見つけられなかったとしても、観察力を鍛えたと思えばいいのです。次にこういう機会があった時にはその観察力が効果を表し、つまらないと思われた映画を楽しむことができる可能性が高くなります。

本来ならそんなことをせずとも楽しめる映画を観る方がずっといいですよね。でもそれでは「平凡な映画鑑賞」と言えませんか? 楽しいものを楽しむという事は、実は平凡で月並みなことでしかないのではありませんか?凡作とされる映画を観るという事は、自分自身を鍛える事になる。「映画によって自分を磨く」こう考えてみれば、平凡な映画を鑑賞しても十分に楽しむことができると言えるのではないでしょうか。

実際これを実行してみた場合、楽しめる行為というより訓練とか修行といったもののような気もします。だけど映画を使ったエクササイズと思えば精神的にも楽に感じられることでしょう。退屈な映画への対処方法の一つとして、試してみてください。意外といいものですよ。

退屈な映画だって観方を変えればこんなに楽しい

もうつまらなくて欠伸が出っぱなし、観るよりもむしろ寝に来たんじゃないかと思える映画ってありますよね。映画好きな方ならそんな経験も多くあることでしょう。映画館で眠るために来る人はそう多くはいないとは思うのですが、結果的に寝ていたりすることは珍しいことではないですね。せっかく映画を観るために来たのですから、退屈を感じずに楽しめたらそれに越したことはないじゃないですか。

退屈な映画とはどんなものでしょう。ストーリーがつまらない、単調な展開だ、出演者の演技がなっちゃいないといった要素があると思うのですが、それだけなのでしょうか? 観る側の関心も大いに関係してきますよね。友達に誘われたとか、デートで行ったとかの場合だと、自分の趣味に合ったジャンルではない映画に付き合わされたという経験がある方も多いかもしれません。

こういった時の映画は本当につまらなく感じます。隣が友人だろうと恋人だろうと、つまらないものはつまらない。でもまあ、ちょっと待ってください。確かに自分の観たい映画ではないし、まるで興味が湧かないとしても娯楽として楽しんで観ている人がいるのです。たまには違う世界を覗いてみるという感覚で、接してみてもいいのではないでしょうか?

今まで知らなかった新たな発見をすることができるかもしれません。あるいは、あまり好きではなかった俳優の演技が素晴らしいものだと気づくこともあるでしょう。充実した毎日を過ごせるきっかけが、自分の殻を破るきっかけが、その映画を通してつかめたりするとか、無いわけではないのです。いささかオーバーになりましたが退屈なものと決めてかからず、興味の湧かない映画も観ておいて損はないと思います。

しかし、損はなくとも退屈感が完全に払拭できるものでもありません。そのような時は、ただストーリーを追うだけではなく、映画の中に自分の興味を引き出しそうなものを探してみてはいかがでしょう。例えば、出演者の中にこれから活躍しそうな俳優を見つけてみるとか、場面ごとのインテリアとか、小道具とか。そのうちストーリーを忘れてそっちの方に気を取られてしまいますが。

でも、それはそれで構わないでしょう。映画とはストーリーを理解しなくてはいけないというルールがあるわけではないのですから。あのシーンのこれが好きっていう感じは誰でも経験したことのある感覚です。全体が、ではなく一部分だけが気に入っただけでも収穫はあるのです。むしろ、退屈を感じた時には積極的に見つけていけばいいんです。

食い入るようにスクリーンを見ることができないのであれば、ちょっと別の角度から映画を楽しむような工夫を考えつけば、退屈だと思える作品と出合ってしまっても対処ができます。そうは言っても、いつもこのような事をしていると映画の持つ楽しさを見失ってしまう事があるかもしれません。

やはり、興味のない映画に無理に付き合うことが無ければそれが一番いいのかもしれませんが、何かいい事へのきっかけが生まれる可能性があることも否定できないと思います。また、興味がないと思っていたのが、ただの食わず嫌いだったということもありうるので、積極的に映画を楽しんでいきたいですね。

こんな映画見なきゃよかったと思ったときに試してみよう

映画館でこんな体験をしたという方は多いでしょう。「こんな映画見なきゃよかった」という後悔を。なぜこのような事になるのかは、映画のジャンルや出来、個人的な感じ方等様々な要素が関係してくるので一概には言えないのですが、完全に言えることはこの一言「失敗した!」ですよね。この失敗を繰り返さないようにするには、
いったいどうすればいいのでしょうか?

どうすればいいか、というその前に失敗した原因をいくつかの項目に分けて見ていきましょう。まずは映画の選択から。あなたは観たい映画をどのような基準で選びますか? タイトルだけで選ぶ人はあまりいるとは思えませんが、タイトルは選ぶための要素の一つにはなりますね。

戦争モノのようなタイトルでストーリーがラブコメだったなんて映画があったら、戦争映画ファンの人もラブコメ映画ファンもどちらもコケてしまいます。興業的にもコケるでしょうね。敢えて意図的にズレたタイトルを付ける例外もありますが、普通は映画そのものをイメージできるようなタイトルを付けるはず。狙いすぎて失敗している映画もありますが、作品のイメージや雰囲気を伝えるようなタイトルが付けることが多いでしょう。

タイトルの他にはテレビCMなど広告や宣伝でしょうか。宣伝は観に行く映画を選ぶための重要な要因ですね。しかしこの場合は、宣伝のイメージと実際の映画の内容とのギャップが最も感じられる選択になってしまう可能性が高いのではないでしょうか。宣伝側では多くの観客に観に来てもらうよう、演出をします。これが過剰なものとなると、実際の映画とまるで違う印象になってしまいます。

映画を選ぶ判断材料として重要なものだけに、力を入れ過ぎて派手にしたり装飾し過ぎたりするのでしょうが、あまり余計なことをしてもらいたくはありません。とはいえ、あまり地味だと観客も来ないでしょうから、その辺のバランスが難しいのだとは思います。

他の選択要素は原作、出演俳優、監督や脚本家などのファンだということも挙げられます。ファンなら見逃せないという心理は十分理解できますし、出演した俳優のファンであれば作品の出来が多少悪かろうと許せてしまったりするものです。こういう場合は、その映画を観て失敗したと感じないかもしれませんね。これが原作のファンであると、原作通りではなかった場合の失敗した感は、とても強く感じられるでしょう。

結局のところ、タイトル、宣伝内容、原作や出演者などのファンといった要素で自分の観たい映画を選んでも、観終わった時に自分の中のイメージと違ったと感じれば「観なきゃよかった」「失敗した」と思うことになります。この後悔や失敗を感じない、または軽減させられる手として考えられるのは、前評判や評論家による評価など映画の情報を入手するというものがあります。

自分の期待に見合うだけの内容かどうか、情報があればある程度の心の準備ができるので失望感は薄れるかもしれません。でもその分期待感も薄くなりかねないかもしれません。そこでこんな手を使ってみましょう。観た映画に対し後悔や失敗を感じたら、反芻するがごとく内容を思い返してみる。何ならまた観てみるということも。こうして徹底的にその作品と向き合えば、そのうち愛着がわいてきます。

「あばたもえくぼ」という言葉がある通りです。また失敗したと思った直後と違い、よかったところも見つけられると思います。第一印象が悪くても、付き合ってみたらいいヤツだったという事があるように、映画にだってそういうお付き合いができるようになりますよ。

期待外れの映画こそ期待を裏切らないぞ!

広告でめちゃくちゃ宣伝してものすごく期待させておいて、観に行ったらガッカリ。映画好きのあなたならそんな経験、ありますよね。「まあ、たまにはね」なんて人がいれば「だいたい映画なんてそんなものばかりじゃないか」と憤りまくっている人もいらっしゃるでしょう。でも、なんで期待外れの映画があるのか? 原因はいろいろあるのですが、基本として観客側の期待と映画の内容がズレているからだと思われます。

「期待しないで観た映画が意外と面白かった」こんな経験はありませんか? これってそんなに珍しいことではありませんよね。むしろよくある話だと思います。この場合、観る側には期待をしていなかった分、映画に対する身構えがなかったわけで、流れている映像をそのまま受け入れられたということになるのではないでしょうか。つまり期待というハードルが無いハードル走みたいなもので、映画に対し抵抗感なく突っ走ることができたと。

また言い換えれば、期待感とは、映画に対するフィルターであるとも言えます。このフィルターが多い、あるいは厚いとなれば、そこを通過する映画の内容はフィルターに漉される度合いが大きいことになります。映画を観終わった時には濾されていった分だけ、感想や感動などは薄く感じることでしょう。

映画とは基本的に娯楽ですから楽しさへの期待をしない方がおかしい。期待を持たずに映画を観に行こうなんて人はいませんよね。第一、映画の製作や興行サイドは期待感を煽るよう宣伝をしているわけですし、そうでなければ映画を観る人などいなくなってしまいます。

一番の理想は映画製作側の意図する期待感と、観客側が想う期待感が合致し、まさに期待通りの作品として公開されることですね。しかし現実は両者の狙いがズレてしまっている作品の多いこと。せっかく映画を観るために足を運んだのなら、期待通りといかなくても作品を楽しんで、満足して帰りたいですよね。

期待外れの映画を観て、どうすれば満足できるのでしょう。途中で期待が持てない、つまらないと感じたら、簡単なのはそこからは期待感を持たないで観てみるということです。前述の「期待しないで観たら意外と面白かった」というやつ。ただ、一口に簡単といっても、気持ちの切り替えを瞬時に行うことは、そう簡単なものではないかもしれません。

期待感を途中で捨てるようなことは難しいし、もし可能だったとしても鑑賞後の感想がつまらないことに変わりはないということもあります。そういう場合は、自分の期待と作品とのズレそのものを楽しむという方法があります。理想と現実の違いを比べるのではなく、国内の習慣と外国の習慣との違いを比べて感心するようなイメージで、映画を観るのです。

こういう表現もあるのかとか、斬新な結末だというような解釈ができるようになってくれば、つまらなさを感じることもなく作品を楽しめるでしょう。期待と違うが、これはこれで面白いと思えればシメタものではないですか。それでもやっぱり「つまらないものはつまらない!」のであれば、残されている手はコレ。「つまらなさを楽しむ」しかないかもしれません。

「つまらなさを楽しむ」なんて矛盾するようなものかもしれませんが、そうでもないのです。簡単な例としてはお笑い芸人の「すべり芸」というのがあります。いずれの方法も、結局は自分の感じ方次第となりますが、ちょっと気分を変えることができれば、期待外れな映画でも十分楽しむこともできるものなのです。

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