Authorbluefish2017

あくびの出るような映画こそ最高のごちそう

「ふあー、さっきから欠伸しか出ないぞ。面白くもなんともない映画だ」せっかくの映画鑑賞がこんなものであったらちょっと悲しいですよね。何のために映画館に来たのかと後悔したりして。でもまあ、そんなに落胆しないでください。こんな映画に遭遇してしまったとしても、十分に味わうことはできるはずです。あなたはまだそれに気づいていないだけなのです。

欠伸の出るような映画とは、普通に考えれば退屈でつまらないものだと推測できます。でもとらえ方を変えてみればこのように言い換ええることもできるでしょう。「リラックスできる映画」だと。リラックスできるということは映画自体を楽しめるものではありませんが、上映時間中はストレスと無関係な状況にあると思っても差支えないでしょう。何なら寝てしまって、休息タイムとしてもいいのではありませんか?

映画としてはつまらないもので観る価値が無かったとしても、想定外であれ十分に映画を楽しんだと言えるのではないかと思いますが、それは間違いでしょうか? 期待した映画が外れだったということなんて、よくあることです。そんな時は映画自体をも含め、普通とは違った方向から楽しんでみてはいかがでしょう。映画はもう環境ビデオ位に割り切って、有意義に過ごすことを目標に映画館での時間を過ごす…。

よく聞く、営業マンがサボって昼寝に行くかのような感じになってきましたが、いびきをかいて周囲に迷惑をかけなければ、眠り込んでしまうのも一興。あるいは座席に座らず、空気椅子でトレーニングなんてこともやれるかもしれません。もちろん、周囲に迷惑をかけないよう、注意する必要があります。あまり突飛なことをしても外に出されてしまいますからね。無難なところでは瞑想などもいいかもしれませんよ。

しかしこうなってくると、どんどん映画から離れていきますので、そろそろ映画に戻っておきましょう。確かこの映画は「つまらない」ものでしたよね? 実際のところ、つまらない映画に当たってしまっては寝てしまう事を選んだりする人もいますよね。中には映画の面白さに関係なく不覚にも眠ってしまったという人もおられるようです。こういう場合は映画が終わった後、ご本人もちょっと残念に思われることでしょう。

眠さに抗えない場合はさておき、つまらなく感じる映画にはどう対処してみるといいのでしょうか。映画監督になったつもりで、作品を見渡してみるとか、ストーリー展開を自分なりにアレンジするとどうなるか、想像してみるとかといった、脳内補正をするなんて手もありだと思います。将来自分で映画を作ろうとか考えているのならば、その映画を反面教師として観察するという人もいたりするかもしれませんね。

それでもやっぱり飽きてしまうようであれば、ストレスを解消するためにもぐっすりお休みいただいてもいいかもしれません。ただその映画がサスペンスものやホラーものであったりする場合、あまりいい夢見心地とはいかないかもしれませんけどね。

観方を工夫すればダメな映画もこんなにも面白い!

つまらない映画なんて観たくない、そう思うのは映画好きな人間ならば当然のことです。いろいろ情報を集めて吟味して、これは面白そうだと観てみたものの、期待外れに終わってしまった映画のなんと多いこと。でもそれはもしかしたら、気のせいだったのかもしれません。今一度、これまで観てきた数々の映画を思い起こしてみてください。それは本当につまらなかったのでしょうか?

数多くの映画を観てきて、つまらなかった映画との接触を思い出すことはできますか? もしかしたら映画を観たこと自体忘れてしまっているような作品も中にはあったりしませんか? そんな印象の薄い、記憶の彼方に消えてしまったような作品は、やはりつまらないものといえるのでしょう。しかし、当時の記憶も薄れるくらいの時間が経っているのであれば、再びその作品を観た時に印象は変わっている可能性がありはしないでしょうか。

絵画などでは画家の死後、急激に評価や価値の変化が起こることがあります。映画でも主演した俳優の死後、その映像ソフトの需要が上がったりすることがあります。こういった状況でなくとも、時代によって評価が変わる映画がありますよね。人間だって時間の経過によってものの考え方や嗜好が変わってきたりします。こういうことは特に珍しいことでもなく、よく聞いたりすることですね。

そういうことであれば、以前観た映画だって時間の経過とともに印象が変わっていたとしても不思議ではありません。当時つまらなかったものでも、観返してみると満足できる作品として評価されることもあり得ますね。また嗜好が変わっただけではなく、当時は理解できなかった事象が年齢とともに経験を積んだことにより、理解できるようになったことで同じものでも感じ方に違いが現れることもあるでしょう。

もし、それを自覚できるのであれば過去に観た、つまらないと感じた映画を再び観ることをお勧めしたいと思います。当時感じたつまらなさが今となって面白さに変化しているかもしれません。この推測が当たっていたら、過去に無駄だと思われていたガラクタのごときつまらない映画が、自分にとっての価値ある宝石のように感じられることもあるはずです。あるいはつまらないと思った映画が輪をかけてつまらないと感じることがあるかも。

またひょっとしたらなのですが、当時好きだった映画や傑作と感じた映画にも変化が生じてしまっている可能性があります。こちらの場合は好きだったものがつまらなく感じてしまうかもしれませんね。またあるいは好きであった映画がますます好きになるという可能性もあることでしょう。

こうしてみると、昔観た映画が自分の感覚などの変化によってどういう印象になっているのか、実験してみたくなりませんか。これは映画だけでなく、さまざまなことに応用できそうです。でもここは取りあえず映画に絞って実験してみてください。こうした実験で自分の内面の変化を実感できることでしょう。ただ、自分の変化に驚いてショックを受けるような事態になるかもしれない事を覚悟する必要があるかもしれませんね。

そのまま観るからつまらない!つまらない映画はこう観よう

あれ、この映画ってこんなつまらないものだったの? ちょっと期待外れに感じてしまう映画なんてものは、ごくごくありふれた存在でございます。しかしそのありふれたつまらない映画の中にも、観方を変えることによって光り輝く名作となりうるものがあるのではないでしょうか。そういった映画に出会えることができたなら、今よりさらに映画を好きになることができるのかもしれません。

映画について、誰でもわかることといえば、面白いかつまらないかのどちらかの映画しか存在しないということです。映像が美しいとか、心理描写が巧みだとか、監督のセンスを感じるとか、難しいことを考えなくても面白いのかつまらないのかはそれぞれ決めることができる。そりゃあ映画の知識や原作のストーリーを知っていれば楽しさも一味違ってくるかもしれませんけれど。

でも何も知らなくても楽しむことができるのが映画というものではないですか。すべてがそうだとは言いませんが、理屈抜きで楽しめるエンターテインメントの一つが映画であると言ってもおかしくはありませんよね。そんな映画なのに、全てが面白いわけではないというのがこれまた面白い。ヒットを祈願して作ったのに、あまり日の目を見ない作品のなんと多いこと。

これまでに作られ、埋もれてしまった映画は大抵つまらない映画という、あまり喜べない状況にあります。そんな映画たちが放つメッセージが、いつか花開く時が来るであろうと祈りにも似た確信を持っているのですが、そうそう簡単には理解されるものでもありません。何といってもつまらないというレッテルを貼られてしまっては、そこから先は相手にされなくなってしまうのです。

Blogなどではつまらない映画についての魅力を伝えんとして、自身の見解を述べている方もいらっしゃいますが、たいていは食わず嫌い状態な人が多いのではないでしょうか。つまらない映画など、何の価値もありはしないと決めつけてしまっては、そこで話は終わりになってしまいます。新しい魅力、いまだ知らなかった未知の魅力が、つまらないとされている映画に含有されていることを知らないのはもったいないではありませんか。

なぜつまらないと思ってしまうのか、それは面白いものが見つからないからですね。しかしそれは多分一方向からしか映画を観ていないからではないでしょうか。一方向からだけでは保護色となって見つけにくい魅力が潜んでいることに気づかないままになっているかもしれません。それはもしかしたら製作サイドが巧妙に隠した宝物なのかも。あるいは点と点をつなげて解く、パズルのようなものかもしれません。

事実、映画の中にそのようなメッセージを含ませてある作品は意外なほど多くあるようです。こうなってくると推理物の映画の様相になってきてしまいますね。己の感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、隠れたメッセージを探し出す。ただ映画を観るだけの楽しさより、高度な知的遊戯としてつまらないという映画に挑んでみる。そしていつか謎は解けるのです。たとえ空振りで終わろうとも、つまらないということはないですよね。

本当は面白い?駄作と言われる映画の観方

名作や良作と言われる映画は、誰が見ても楽しめるからこそそう呼ばれるものであります。しかし数の上では圧倒的に勝るであろう凡作、駄作と言われる映画は果たしてどうなのか。楽しいこと請け合いと言いたいところですが、好みや趣味のことなので、断言することは難しいでしょうね。しかし、そんな凡作。駄作の中にはこれまで認められなかった価値を持つ名作が埋もれている可能性があるのではないでしょうか。

骨とう品や絵画には、本物と偽物が存在しますが、埋もれている映画作品にもそういった類のものが存在しているのではないかと思われます。いわゆるパクリとかパロディ作品は偽物の雰囲気がありますし、オリジナル作品とかジャンルの祖といった作品には本物の風格があるような気がします。骨とう品のように作品が一つしかないものとは違いますが、良いものは良いと感じさせてくれます。

では、偽物側はどうでしょうか。骨とうでの偽物は価値がまるで落ちてしまいます。ものの性質上当たり前ではあるのですが、本物と判別できないような偽物がある分、見分けが難しいものだと言えなくもありません。映画の場合、作品を観れば一発でわかってしまうので、素人でも容易に判別がつきます。そしてここも違いますが、パクリとかパロディといった作品でも一定の支持を得られる可能性があります。

映画は骨とう品と違い、価値の基準は人の感じ方に依存するものです。そういう意味では本物を超えてしまう可能性がありますが、そう簡単に本物を超えるようなことはありません。実際はオリジナルを超えようという性質のものではありませんので、骨とうと比較すること自体、意味を成すものではないかもしれません。

さて偽物ではないにせよ、つまらないという言葉がついてしまった映画たちが気にかかります。人知れず消え去ってしまうには惜しい気もするのですが、何か救済する手立てはないものでしょうか。もし映画に自我があればどのような気分なのか聞いてみたい気もしますが、そんなものがあるわけがない。作品の意図を読み取って、本来もっている楽しさを引き出してあげたいものです。

もし可能であれば、制作した監督に直接話を伺ってみたいとも思いますが、普通は記事のインタビューなどから読み解くことしかできません。インタビューですべての本音をさらけ出すことは多分ないと思うので、真意を完全に理解することは難しいのではないでしょうか。結局は作品そのものから、感じ取ったもので判断するしかないでしょう。

最終的には人がつまらないと判断したとしても、自分がいかに感じるのかがポイントです。もし他の人と同じようにつまらないと思えば、確かにつまらない映画なのでしょうし、違った感想があれば自分は違う価値観を持っていたということになり、つまらない映画というレッテルを回避してもいい。また逆の感想で、他人が面白いと思う作品に自分がつまらないと感じても、それはそれで興味が尽きない。そう思いませんか。

少しばかり禅問答のようになってしまいましたが、つまらないと言われる映画でもそれなりの特徴があるわけでありまして、決して存在する価値のないものとは言い切れない、奥深い魅力を持っているものだと最後に述べさせていただきます。

観方を変えれば映画も変わる?楽しい映画鑑賞法

どうせ映画を観るのなら、楽しい映画がいいじゃないですか。そうは言っても、観る前から楽しいかどうかは判断しかねますよね。評判倒れの作品なんて、それこそ山の数ほどもあるのです。観た後にどんな感想を持つことになるのか、期待と不安が入り混じるこの感じこそ、映画を観る人にとっての醍醐味の一つだとは思いませんか? そうは言っても、できれば期待通りの方がいいのでしょうけどね。

どんな映画でも楽しむことができるような人がいるとすれば、それは大変うらやましいことです。何といっても観る映画に困ることが無い。もしこんな人が映画評論家になったら、どんな評価をしてくれるのでしょうか。どれもこれも褒めてくれるので、映画製作の関係者にとっては非常にありがたい存在となることでしょう。でも実際そんな人が映画評論家として活躍していますか?

もしかしたら、そういう人が実在するのかもしれませんが、あまりその評価を信じようとは思わないでしょう。やはり良いものは良い、悪いものは悪いと断定してくれる評論家を頼りにしますよね。ただ、評論家であろうと一介の映画ファンであろうと、作品に対して思う感想は各人で異なります。学校のテストとは違い、正しい答えというものがないわけですからね。

映画を観ることに、正しい答えなどないとするならば、どんな観方をしようとも自由であることがわかってきます。もちろん、いくら自由であるといっても、映画館で他人の迷惑になるような行動をとることはいけません。それがわかっていない人をたまに見つけることがありますが、最低限のマナーくらいは守ってほしいものですね。まだ善悪の区別がつかない乳児ではないのですから。

さて。映画の観方は自由であることと同様に、観る映画を選択するのも自由です。まあ年齢制限のある映画はそう自由に観ることはできませんが、一般人であればそういう制約もなしに映画を選ぶことができます。大概は自分の好みに合った作品を観るでしょうが、たまには趣向を変えて、観たことのないジャンルの映画を観るというのも楽しいかもしれませんよ。

同じジャンルの映画ばかり観ていると、マンネリを感じてしまい、やがては映画がつまらなく感じてしまうかもしれません。そこで自分の趣味ではない映画を観てみるのです。その映画が面白かったのかつまらなかったのかは鑑賞後に判断できますが、その前にこれまでとは違う新鮮味を感じられると思います。同じものをずっと続けて観ていられる人でも、新たなジャンルの開拓に心躍る瞬間があるかもしれません。

新鮮な感覚に触れた後ならば、これまで好きだったジャンルの映画も、また一味違う感じを体感することが可能になっていると思います。さらに違うジャンルへの挑戦もありですよね。映画を楽しむ範囲が広がれば、さらに新しい楽しみも増えてくることでしょう。映画を通じての出会いによって、何かが生まれるきっかけとなるかもしれません。

ただ、注意しておきたいことは出費がかさんでしまうことです。懐具合と相談して、有意義な映画ライフを充実させることを祈っています。

もうツマラナイなんて言わせない?映画鑑賞の極意

世の中にはつまらない映画作品が無数に存在しています。でも本当につまらないものなのでしょうか? それは観る人の感じ方次第で、変わってくるものではないでしょうか。もしもそうであるのなら、つまらないと思っていたあの映画とかこの映画が名作とか娯楽大作に感じてくるのかもしれません。それは錯覚なのではないかと思うあなた、それが錯覚だとしても楽しめるのであれば問題なし、でしょ?

どんなジャンルの映画であれ、つまらない映画というのは観ていてツライものです。作品に合わないキャスト、強引な進み方のストーリー、稚拙な映像の作り、昂揚感の無い音楽、その他もろもろ。「あーもう、そこはそうじゃないでしょ」「この場面でなんでそうなるの?」言いたくないけど、愚痴がため息とともに漏れてしまう。映画を楽しみに来たのか、ストレスを溜めに来たのか、わからなくなるような作品があったとしましょう。

ダメなところが全編に渡って表出しているような作品は、あるにはあるのでしょうが、珍しい部類の作品だととらえることができます。本来なら「なんと、ここまでダメな作品なのか」と嘆くことになるのが普通でしょう。しかし見方を変えてみると「ここまでダメな作品は非常に貴重だ」とも見ることができます。だとすると、非常に貴重な作品に遭遇できたという体験として記憶が残るのではないでしょうか。

映画監督をはじめ、映画製作に携わる人ならばいい作品を作ることを目標として制作に励むと思われます。しかしできた映画と言えば、つまらないもの。制作陣はそうは思っていないのだろうと推測しますが、観客はつまらない映画と判断してしまうものが、映画界にはたくさんあります。この両者のズレを照らし合わせてみて、原因を探るといった推理を楽しむという手もあります。

また中には思いもよらない映像的な失敗があるような映画も存在します。何人ものチェックを経てきたであろうにあり得ないような映像があったりしたら、多少は見てみたいと思いませんか? このような普通なら有り難くない失敗があったとしても、名作とは違って余裕で楽しむことができるのは、つまらない映画でこそ。そして、つまらない映画であれば、後世に残されることも少なくなるので、プレミア感さえ感じることができるでしょう。

観客動員数歴代1位とかアカデミー賞受賞作と言われる大作にはもちろん興味がありますが、また一方でラジー賞を受賞しちゃった映画にも興味がある人は結構多いのではないでしょうか? それこそ興味本位でどんな最低なものなのか、毎年観に行く人だっていることでしょうね。こういう賞を受賞した作品は、それなりに注目を集めるで比較的鑑賞しやすいものでしょうから、一度は観てみることをおススメしときます。

なおこういう賞にさえ、ノミネートすらしないつまらない映画だと、上映期間内であっても早々に打ち切られることもあります。マニアにとっては垂涎の、まさに幻の作品となってしまうことがありますので、もし興味を持たれた方は急いで鑑賞した方がよろしいかと思いますよ。

失敗映画に価値を見いだせ!やればできるさ

みんなの期待を裏切り、評価もよくない映画作品に対し、あなたはどんな想いがあるでしょう。まあ大抵はそんな映画に興味はないと切り捨てられるのがオチではあるのですけど。でも切り口の角度を変えてみたり、観方をいつもと変えることによって、意外とよい作品に思えてくることもあるかもしれませんよ。何事でも挑戦することに意義がある!

一言で「つまらない映画」っていうの、ありますよね。どちらかと言えば失敗した作品と認識されることが多いでしょう。必然的に評価も低く、あまり話題にも上ることのない映画です。そんな映画になぜ注目するのか? 実は「つまらない映画」は「面白い映画」に化けることがあるからなのです。ちょっとそれはないんじゃないの? と疑う気持ちはよくわかります。でもこれは事実です。

つまらない映画と面白い映画の違いは何でしょう? ストーリーとかキャストとか監督の違い、あるいは映像の技術なの? 思い当たる項目はたくさんあることと察します。でも一番の違いは、観た人の感想によるものだと思いませんか? どんなに評判がよく、観客動員がすごいことになっていようとも、観た人がつまらなければその人にとってはつまらない映画となります。

逆もしかり。評判が悪く、観客も少ないような映画であっても、観た人が楽しめれば楽しい映画になるということでしょう。これは映画の評論でも同じ傾向があります。ある作品の評価が評論家によって違っているなんて、普通にあることですよね。こういう評論家の評価を観に行く映画の選考基準にする方は結構いらっしゃるでしょうが、参考にするのは最高の評価を付ける人とは限らず、また最低の評価を付ける人の書評でもない。

おそらくは自分の感覚に近い人の評価によって決めることが多いのではないでしょうか。そう考えると名作や佳作という映画については、多数の方の共感を得られた作品だろうと推測できますよね。そしてあまり共感を得られていない映画は、つまらない映画として認識されてしまうだろうことも推測されます。でもそれが本当につまらない映画と判断される材料なのでしょうか?

前述したことを基準とするのであれば、評価の良し悪しは多数ないし少数で決まるのではなく、映画を観た各人の判断によるものだと言っていいのではないでしょうか。「百聞は一見に如かず」とはよく言われますが、映画にだって当てはまることわざなのですね。

人には何らかのこだわりというものがあります。それは自分という人間を定義するための一つの手段でもあります。そして映画に対しても何らかのこだわりを持つ人って少なくはありませんよね。そのこだわりに沿って映画を観た時、面白いと思えるのかつまらないと感じるのか、各人によって違ってくるものです。でもこだわりを捨て、素直に作品と接した時に普遍的な良さを感じ取れることがあるかもしれません。

多少抽象的な言い回しになってしまいましたが、映画というものはつまらないと思われるものでも、支持をする人がいるもので、そういう意味ではつまらない映画というものがこの世には存在しないのだということなのです。どんなにつまらないという人がいたとしても、たった1人が面白いと思えば、それは面白い映画ということができるのですね。たまにはそんな映画に接してみるのもいいかもしれませんよ。

楽しみにしていた映画に裏切られたとしても元は取ってやりたい!

映画に裏切られてしまった。そう思う事はありますよね。特に期待が大きい場合の落胆度は相当なものでしょう。せっかく交通費をかけ、映画代も払い、時間を費やしたのですからそれに見合った収穫を得たいと思うのは当たり前のことです。なんとかして元を取れるよう、その方法を考えてみましょう。

映画を観るということは、利益を得る目的で行うものではありませんから、本来なら損したとか得したなんてものではないはずです。でもつまらないと思う映画にあたってしまった場合は、損をしたと感じる方は多いでしょう。精神的にも落ち込むというほどのことはないにしろ、マイナスなことは確かです。もしデートで観に行ったとしたら、その後の予定も狂ってしまうなんてことになりかねません。

せめて映画代に合った内容の作品を観たい。これは共通して言えることですよね。もし得をするというのなら映画を観たという満足感が感じられればそれでOKなのではありませんか? だいたい欲をかいたって碌なことにならないのは、昔話が教えてくれていますものね。

逆に損をしたと感じるのはつまらない映画によるものでしょう。アクション映画なのに爽快感が無い、恋愛映画なのに感情が動かない、ホラー映画なのに怖くないという映画を楽しむ要素の欠落が、そう感じさせるのではありませんか。ならば、欠落した要素を補う事ができるとすれば、損したと感じることもなく映画館を後にすることができることでしょう。

しかし前述のような、映画の楽しみとしての重要な要素が欠落した作品では、何を補えるというのか。これはもう具の無いサンドイッチであり、たこの入っていないたこ焼きなのに。なかなか難しい問題ですが、解決策が全くないわけではありません。数少ない解決策ではありますが、1つご紹介します。それは先入観を捨てて映画を観るという事です。具の無いサンドイッチはサンドイッチと思わず2枚のパンだと認識し、それを受け入れる。

映画も普通にホラー映画と思わず、恐怖のないノンホラー映画と認識してしまう。例えばノンアルコールとかアルコールフリーというビールがありますよね。車を運転するのでアルコールは飲めないと考えるのではなく、車を運転していても飲めるビールと考えれば、精神的にも負担にならずに済みます。多少強引かもしれませんが、新しいジャンルの映画と思えばつまらなさも軽減するのではないでしょうか。

つまらない映画を観ても損しないというのは、つまらなさを感じずに映画を観れてしまえばよいと、そのように考えております。単純に映画を楽しめることに越したことはないでしょうけど、つまらない映画を多少なりとも観れるものとして感じていただければと思い、考え出した案でございます。つまらない映画に対し、不満をぶつけるだけよりも、建設的なものだと思いますがいかがなものでしょう。

結果として、映画を観た本人が満足できるのであれば、いろんな方法を試していただきたいと思います。今回はちょっと力技でしたが、もっと良い方法があれば何かの機会にご紹介したいと思っています。

せっかく払った映画代を無駄な出費としないために

ああ何という事でしょう。せっかく劇場まで来て観ようと思った映画なのに、期待に胸弾ませて観に行った映画なのに、思ったほどの感動が得られなかった。そんな経験はありませんか? え、しょっちゅうあるのですか? それは困ったものですね。なんとか元を取るようなことって、ないのでしょうか。本当にしょっちゅうであれば、そのうち映画を観に行こうとも思わなくなってしまいそうですものね。

CMではあんなに期待させておいて、何ともお粗末な内容だったなんてそれほど珍しいことでもないのが、悔しいかな映画にはあるんですね。宣伝の仕方に問題があるんじゃないの? そう考える方もいらっしゃるでしょうが、一にも二にも観客を動員できない宣伝では、何の役にも立たないわけです。もちろん観客をだますつもりで宣伝したわけではないのでしょうが、過剰な作りは控えてもらいたいと思いますよね。

今から数十年昔、昭和の時代は映画の全盛期がありました。一時はだいぶ衰退したものの、ここ数年は邦画の人気も復活してきている感もあります。やはり全盛期と違い、作られる映画や上映する映画館は減ってきているのは確か。そうなるといかに観客を呼び込むのか、制作会社や映画館は必死になっている所でしょう。前売り券に特典を付けたり、特定の日に割引をしたり。

こういうサービスによって客を増やす努力は確かに認めざるを得ません。でも、できれば映画の内容や質で還元される方が望ましいと思われるのですが、いかがでしょう。安い料金で観られることも結構ですが、つまらない映画を見せられるようでは観客も増えていきそうにないのでは…。

さて、話がそれてしまったので元に戻しましょう。つまらない映画から元を取るとしたら、具体的にはどんな手があるのでしょう。映画代は映画作品に対して払うものですから、映画を観たのであればそれだけで損をしたことにならない。しかしつまらない映画に対しては釈然としませんよね。映画代の当てになっているのか、製作サイドに問いただしたい気持ちになります。

さらに内容のひどい映画であったなら、こう思わずにいられないでしょう。「金返せ」と。今はそこまでひどい映画があるとは思えませんが、内容の良し悪しと元を取った感は比例関係にあると思われます。前売り券を買って映画を観た場合ですと、割引と特典がついたりするので、そこそこ納得いく感じがありますが、当日券での場合だとそういう事がない。「つまらない映画=損した」とダイレクトに感じますよね。

できるだけ損を感じないように、満足する映画鑑賞をするのであれば発想の転換が必要になるかもしれません。つまらない映画ではあるけど、それなりに貴重な時間を過ごすことができたとか、今回は面白い映画を観るための布石だと考えるとか。「えー、そんなんじゃ納得いかないよ」というのは、おっしゃる通りです。せめて映画の予告で、次に観る映画を検討していただくと。

あとはもう、映画鑑賞以外の付加価値を見出して気持ちを整理していただくほかありません。映画付きの休憩所とかヒューマンウォッチングとか。もちろん、違法な目的で元を取ろうと思わぬよう、ご注意くださいね。

低い評価の映画だとしても120%増しで観てやりますよ

映画好きの人にはあまり評価されなかった作品群。一つ一つを丁寧に観て行こうとはあまり思わないものですが、中には「ああ、惜しいな」と感じずにはいられない作品もあります。どうにかすれば鑑賞に堪えそうな、そんな作品に出会ってしまったとしたら、あなたはどうしますか? やっぱり放っておいて無視しちゃうのでしょうか。それはもったいないと思いますよね。

お気に入りの作品や、感動した作品なら何度でも観たいと思わせる魅力があります。これとは対照的につまらない作品とか嫌いなジャンルの作品であれば、何度もどころか1度見るのも大変に感じることでしょう。嫌いなジャンルのものは仕方ないですが、つまらないと思う作品を観るというのも普通は避けておきたいものです。つまらないものに時間をかけたくはないですしね。

ところでつまらない映画とはどんなものか、考えたことはありますか? 観た後でつまらないという感想を持つような作品だと思われますよね、普通。もちろんその通りだとは思いますが、つまらないと感じたのはひょっとしたら魅力ある要素を見つけることができなかったためだと言えるのかもしれません。簡単に言えば、いいところを見逃していた。

そんな見逃してしまうような魅力など見つけなくても、良い映画さえ観られればそれでいいじゃないかと大半の方は思われることでしょう。確かにごもっとも。でも数少ない魅力の中には素晴らしく大きなものがあるかもしれないじゃないですか。それを見つけられれば、値千金、逆転サヨナラ満塁ホームランってなもんです。気分的なものですがね。

そのために考えてみたのが、映画を何度も観るという事。いや、さっきつまらないものに時間をかけたくないと言っていたじゃないかと。確かにそうです。でも沈没船のお宝を探し出すには何度も試掘を繰り返し行うじゃないですか。映画の場合ちょっと違うんですけど、繰り返し行うという点では共通するのです。またお宝を探し出すという点も似ているように感じませんか、

つまらない映画を何度も観るなんて、苦痛以外の何物でもないと判断されがちですが、はたしてそれだけのことなのでしょうか? つまらないものとは、印象が薄いものです。その印象の薄いものを繰り返し観ることによって徐々にではありますが、濃くしていきます。ちょうど伝統的な染物のように、布に色を染めていく行程のごとくにです。すると今までは感じられなかったものが鮮明に姿を現していくと思いませんか?

そこまでして映画を観なければいけないの? そう言われればそこまでではあるのです。まして魅力が絶対発見できるのかと言えば、それほど確かなものでありません。ある意味、前述のお宝探しと同じで無駄な徒労になってしまう恐れもあります。でも、これは言えると思います。それは映画に愛着がわくということ。あ、でも逆に愛想が尽いてしまうということもありますね。

いずれにしても共感できる方がいたら試してみてください。意外と予想外の発見があったりするかもしれませんよ。ああ、そうそう「くだらない映画」に対しては試さない方がいいでしょう。本当に無駄になってしまうかもしれませんからね。

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