拍子抜けした物語が淡々と進み、いつの間にか唐突な終わり方をしてしまうような映画。そんな映画に遭遇してしまったことはありませんか? 後に何も残らないような映画を観てしまうと、虚しさを感じますね。ああまったく時間の無駄だった。そんな映画を観ることは苦痛の種ですらあります。もしこんな映画を観る羽目になってしまったらあなたはどうしますか?

ストーリーどころか見たことさえ忘れていたという映画があったとします。普通ならつまらない映画でも覚えているからこそ、つまらなかったと回想することもできるのですが、完全に忘れた映画があるということは、時間とお金が全くの無駄になってしまったことになります。こんな無駄なことを許せるわけがありません。時間もお金も無限にあるわけではないのですから。

これまでは極端な例でしたが、凡庸な映画に出会ってしまうことはそんなに珍しいことではありません。期待値が高すぎたのか、自分の趣味に合わなかったか、脚本が平凡なのか、演出が甘いのか…。各人の感じ方は違ってくるかもしれませんが、微妙な作品はどこかに共通する欠点を持つと思われます。その映画をどう楽しむか、考えていきましょう。

一般的な日本人は人と違った事をするのに抵抗を感じます。出る杭は打たれるという言葉があるように、目立つようなことはせず、みんなと同じにしていたい。そして日常に非現実的なものは要らないと思う反面、どこかでそれを求める時もあったりする。その欲求の解消策の一つとして、映画に没頭することがあるでしょう。やはり映画には日常ではない展開を求めたいと思いませんか。

映画にはそんな非日常とか、非現実といった要素がふんだんに盛り込まれます。どんなに平凡な映画でさえ、どこかにそんな要素が潜んでいるはず。潜んでいるものを見つけられれば、その映画もいくらか鑑賞できるものと変わっていくことでしょう。簡単につまらないと断定せず、観察してみてください。何か見落としていたことがあるかもしれません。

人によっては「そんな面倒くさいことなんかやってられない」と思うかもしれませんが、どうせつまらない映画に遭遇してしまったのなら、試してみても損はないのではありませんか。何か発見できれば儲けもの。もし何も見つけられなかったとしても、観察力を鍛えたと思えばいいのです。次にこういう機会があった時にはその観察力が効果を表し、つまらないと思われた映画を楽しむことができる可能性が高くなります。

本来ならそんなことをせずとも楽しめる映画を観る方がずっといいですよね。でもそれでは「平凡な映画鑑賞」と言えませんか? 楽しいものを楽しむという事は、実は平凡で月並みなことでしかないのではありませんか?凡作とされる映画を観るという事は、自分自身を鍛える事になる。「映画によって自分を磨く」こう考えてみれば、平凡な映画を鑑賞しても十分に楽しむことができると言えるのではないでしょうか。

実際これを実行してみた場合、楽しめる行為というより訓練とか修行といったもののような気もします。だけど映画を使ったエクササイズと思えば精神的にも楽に感じられることでしょう。退屈な映画への対処方法の一つとして、試してみてください。意外といいものですよ。